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チェルノブイリ原発事故

(1)チェルノブイリ原発事故の発生と原因

chernobyl_disaster_1_1_thumbnail.jpg 事故は1986年4月26日深夜に発生し、以後10日間火災が続き人類史上最大の放射能災害となりました。場所は旧ソ連のベラルーシ共和国との国境沿いのウクライナ共和国側の町、プリピアチ。ここには1977年以来原発が運転されており、事故を起こしたのは1984年に建造されたばかりの最新鋭の4号機(100万Kw)でした。原因は当初運転員による操作ミスとされたが、調査が進み特殊な運転領域で暴走する、という重大な設計ミスが発覚したのです。メーデーを控え、運転休止にいたる過程での緊急停止実験が特殊な運転領域をもたらしたとされています。


(2)放出放射能と被曝

chernobyl_disaster_1_2_thumbnail.jpg石棺建設中の事故処理作業者 10日間に放出された放射能は、ソ連政府および国際原子力機関(IAEA)によれば、総量で約3億キュリー(8×1019ベクレル)弱とされています。放射能別では、クリプトン85やキセノン133など希ガス放射能は100%、人体被害にもっとも影響のあるセシウム134と137やヨウ素131などは20~23%が放出されました。セシウムだけを取れば広島原爆の500倍と言われています。
被曝者は大きく5つのグループに分けられます。
 第1のグループは事故処理にあたった消防士や軍人、警察官、医師や看護婦などいわゆる「事故処理作業者」。約70万人がソ連各地から集められ、こうした危険な作業に従事しました。ウクライナだけで半数の35万人に上ります。


chernobyl_disaster_2_1_thumbnail.jpg石棺 放射能放出中の被曝作業や事後の除染作業で重篤な被曝を受け、1ヶ月以内に31名が死亡しました。
 第2のグループは原発の運転員とその家族が暮らすプリピアチの町(4.2万人)とその周辺地域(半径30Kmのいわゆるゾーンといわれる強度汚染地域)の住民合計13.5万人です(ウクライナ側91000人、ベラルーシ側44000人)。これらの人々は燃え盛る原発から放出される放射能を事故発生から強制疎開するまでの3日~1ヶ月間浴び続けた「緊急避難住民」です。
 第3のグループは放射能が落下し大地が汚染された(15キュリー/Km2以上)ために移住を勧告された「強制移住対象者」で、ウクライナで35000人だがナロジチ地区には現在も約10000人が生活しています。


chernobyl_disaster_2_2_thumbnail.jpg汚染された車を洗う事故処理作業者 第4グループは汚染レベルが5~15キュリー/Km2で自発的移住を勧告されていますが、ほとんどの住民はなお住み続けています。ウクライナでは900市町村の84万人に上ります。
 第5のグループは放射能厳重監視地域(1~5キュリー/Km2)で、ウクライナの対象者は210万人です。


(3)被曝の影響

chernobyl_disaster_3_1_thumbnail.jpg取材中被曝で亡くなった記者 事故処理作業者は半数致死線量を超える被爆者も多く、これまでの死者はすでに5万人を超えています。死因はガンや血液循環器系疾患、心臓病、高血圧などが多く、その他、脳性無力症症候群と言われる精神神経疾患による自殺者も多いといわれています。強制疎開地域や緊急避難地域の子供たちには、事故後甲状腺がんが激増しました。


chernobyl_disaster_3_2_thumbnail.jpg立ち入り禁止の家 汚染地域住民の被曝にもっとも大きな影響のあるのは汚染した食物や粉塵の吸引による体内被曝。ウクライナ国民全体の総被曝線量を計算すれば、70~80%が体内被曝といわれています。汚染地域の体内被曝は事故から19年経った現在も継続しているのは、汚染土壌の放射能が事故直後の60%程、残存しているからです。これは、広島や長崎の原爆による体外被曝との大きな違いで、発生する病気の種類や発生時期の違いとなって現れています。したがって、チェルノブイリ被曝者の救援は、事故処理作業者、移住者、汚染地域住民の被曝の影響をどのように軽減するか、という問題となっています。


チェルノブイリの新石棺

4号炉+旧石棺+(4) (1).JPG4号炉+作業員+(2).JPG

 旧ソ連で起こったチェルノブイリ原発事故の30周年に当たる2016年4月26日、ウクライナの現地を訪問し死者のための追悼集会に参加した。原発は4月29日に訪問した。私が初めてチェルノブイリ原発を訪れたのは1992年だったが、それから24年経った今、所謂「石棺」は至る所に錆が目立ち、屋根が裂け、雨もりが発生しているため、その上を覆う更に一回り大きなドームの建造が進行中である(写真参照)。チェルノブイリ4号炉は事故の際、中性子減速材の黒鉛に着火し水で消火出来なくなったため、空から大量(約6000トン)の砂や鉛、セメントなどを投下して10日後にようやく鎮火し、放射能の放出は止まった。その上を鉄とコンクリートで覆ったのが「石棺」である。しかし、時間が経つにつれて建屋の地盤の不等沈下が起こり、屋根があちこちで裂けて雨漏りで汚染水が発生するようになったのである。ドーム建設計画は5年以上前に持ち上がり、世界中の企業のコンペが行われた。日本からも大手ゼネコン数社が参加したが、落札し、現在ドームを建設しているのはフランスの大手原子力産業アレバ社である。廃炉作業は事故から30年経った今も始まっておらず、ドームを被せた後にようやく石棺の解体作業が始まる、という。ウクライナ政府によれば廃炉までには更に50年はかかる可能性がある。事故から数えれば80年という気の遠くなる作業だが、その間、原発は経済的には全くプラスの価値を社会にもたらさない。