Chernobyl aid of CHERNOBYL-CHUBU OFFICIAL SITE

チェルノブイリ支援

日本の市民団体として、初めて現地を訪れました

shien01.jpg初めての支援物資(1990年8月)1990年、事故から4年が経過して初めて、チェルノブイリ事故の被災地から、緊急援助を求める手紙が届きました。私たちは「チェルノブイリ救援・中部」を発足し、日本全国の人たちに広く支援を呼びかけ寄せられたカンパを医薬品や医療機器にかえて、いち早く現地に届けました。


医療機関支援

SHIEN02.jpg医療機器のメンテナンス(州立小児病院)医療体制が不十分なウクライナでは、被災者が病気になっても十分な治療が受けられない状態が続いています。私たちは、現地の病院や診療所に超音波診断装置や保育器などの医療機器を贈るとともに、故障にそなえて医療機器のメンテナンス指導も行ってきました。現在は、医療機関からの申請により必要な機器の購入や修理などの費用を援助しています。





shien03.jpg贈られた保育器で治療を受ける新生児(州立小児病院)放射能は、特に成長の早い子どもたちに大きな被害をもたらしました。甲状腺がんが激増し、免疫低下による感染症・貧血などでたくさんの子ども達が苦しんでいます。30年近くたったいまでも、内部被曝による被害は続いているのです。


被災者支援

当時、事故処理作業にあたった方たちが構成する3つの被災者団体に、医薬品の購入資金を援助しています。被災者は高齢化もともない、いくつもの病気を抱えわずかな年金で生活しています。国からの被災者への補償は実質ほとんど機能しておらず、十分な医薬品を買うことも困難です。

●チェルノブイリの消防士たち基金(会員数:194名)2015年4月現在チェルノブイリの消防士たち基金代表チュマク氏チェルノブイリの消防士たち基金代表チュマク氏
 1986年4月から5月にかけて事故処理にあたったジトーミル州の消防士たちの数は289名でした。そのうち93名は若くして亡くなりました。事故当時の彼らの年齢は22~24歳。死因は腫瘍・心臓血管疾患・骨の疾患などでした。今日、健康な事故処理作業者は一人もいません。私たちは慈善基金「チェルノブイリの消防士たち」を設立し、寄付金で医薬品を購入し、亡くなった消防士の事故処理作業者たちの金銭的な支援や、汚染地域に住み働いている事故処理作業者の子どもたちの支援をし、亡くなった事故処理作業者たちの葬式の世話をします。また定期的な健康チェックのため非常事態局付属の医療センターを設立しました。消防士の事故処理作業者と汚染地域で勤務する消防士、また彼らの家族はすべての検査と処理を無料で受けることができます。「チェルノブイリ救援・中部」のおかげで、医療センターには必要な医療機器が配備されました。今もセンターは活動しています。国の厳しい経済事情により事故処理作業者への支援は、実質上危機的な水準にまで削減されました。そして当基金への寄付も減りましたが、それでも私たちは事故処理作業者たちを守る活動を続けています。(代表 ボリス・アンドリイオヴィチ・チュマク)

●チェルノブイリ障害者基金(会員:56名)2015年4月現在
 活動開始時2003年5月には、団体のメンバーは272人で12年間に56人に減りました。多くのメンバーが亡くなりました。また環境の汚染や、政府や大統領の公約が全く実現されないことで多くの人が国外に出ました。ウクライナの保健システムは機能を果たしていないといえます。事故処理作業者の医療保障のために支出されている金額は、1人1日あたり約0.7グリブナ(約4円/2015年7月現在のレート)です。私たちは長年にわたって、州行政や医療施設に、重病を治療する個別の病室や必須の医薬品を、チェルノブイリの事故処理作業者に提供してくれるよう、陳情を続けています。しかし、誰も反応を示しません。政府は、片手でチェルノブイリ被災者に希望を与えておきながら、もう一方の手でその希望を取り上げているのです。事故処理作業者の健康と神経は、ますます打撃を受けています。(代表 ヴィクトル・ヤリノフスキイ)

●リクビダートル基金(会員:144名)2015年4月現在

会員のうち1級の障害者は22名で、そのうち11名が寝たきりです。半数以上が2級障害者の認定を受けています。ガンが62名、そのほか心臓血管疾患、甲状腺、糖尿尿など多くの病気を抱えています。我々の問題はみな3~4つと病気が多いので、州立成人病院で無料で診察を受けられるように働きかけています。国の被災者用の予算は、我々にまで届かない現実があります。チェルノブイリ救援・中部からの支援には感謝しています。1人当たり500~600グリブナ(約2700円~3300円/2015年7月現在のレート)を支給することができます。先が読めない状況ではありますが、日本でも福島原発事故があったのにもかかわらず我々を支援してもらえて元気が出ます。(代表 コバルチュク氏・運営委員ニコライ・クズミンスキー氏 より聞き取り)

粉ミルク支援

1990年8月、最初に現地訪問をした派遣団は、汚染地域の住民たちがとても辛い思いで生活をしていることに衝撃を受け帰ってきました。赤ちゃんを抱いた母親は、「母乳が放射能に汚染しているので、赤ちゃんに飲ませられない」と嘆き、ボルシチ・スープで育てていたのです。そこで私たちは日本から安全な粉ミルクが送れないかと考え、実行に移す事にしました。

milk_campaign1.jpgトラック一杯の粉ミルクを送る(1992年)まずは日本から放射能で汚染していない粉ミルクを送ろう、と市民たちに呼びかました。また乳業メーカーなどにも呼びかけて原価で粉ミルクを提供していただき、現地に送る事ができました。私たちの呼びかけに応えて沢山の市民たちから寄付が集まり、毎年航空便や船便で贈るようになり、日本の粉ミルクは品質が良い、と大変喜ばれました。


Ajnj 2.JPG未熟児の赤ちゃんにミルクを与える1998年からは、ウクライナでも汚染していない粉ミルクが購入できるようになり、また日本で買うよりも安価であることから、支援金を送って、現地で購入するようになりました。


2014年度は372,472円のご寄附が寄せられました!
ご協力ありがとうございました!

これまでのミルクキャンペーンのご報告と現地からのお礼はこちら▽

milk_campaign.jpg2014-10-10 baby.JPG2014-10-10 milk.JPG